仙台空襲の日、戦災復興記念館

仙台空襲の日の今日は、とても暑い日でした。

70年前の7月10日は仙台空襲があった日です。午前0時3分から、2時間にわたっておこなわれた空襲で、死傷者が2755名、5万人以上の 住民が被災しました。三越の前で、いろいろな団体の合同の街頭アピールがあり、参加しました。

※のぼり旗の「戦争をさせない1000人委員会」とは
→ http://www.anti-war.info/

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仙台空襲の街頭アピールのチラシ配りをしていると、「今日は仙台空襲の日で、知り合いも空襲で亡くなったから、お線香でもあげたくて、市役所に行ってみた。でも、そういうことは市役所ではやっていなかった」という年配の女性がいました。仙台市では毎年7月10日に仙台市青年文化センターで『戦没者戦災死者合同慰霊祭』を実施しているそうですが、今日の女性にはご案内はなかったようです。一般の方も参加できるのでしょうか。ホームページや市役所に詳しい案内を見つけることができないので、わたしはすぐにはわかりませんでした。

仙台市議会の6月定例会で、最後の一般質問に立った大槻議員は、一番目に仙台市としての戦後70年記念事業は他都市と比べても手薄であるので、せめて市民の取組を支援してはどうかと質問をされました。社民党仙台市議団としても、戦後70年記念事業を予算化して事業を行うことを求めてきましたが、仙台市の予算化がありませんでした。「これから、ますます戦争の記憶が遠のくことになり、戦争の記憶と平和を語り継ぐことはさらに大切になってまいります。70年はもとより、今後75年、80年となっていきます。平和に向き合う、戦争の記憶を忘れないことを意識の中にしっかりと置くべきです」と登壇した大槻議員がおっしゃっていました。その時の市長の答弁は、戦災復興記念館の展示などで、やっているつもりだという内容でした。…例年よりいくらかは充実しているそうです。

私は、街頭アピールに出かけたその足で「仙台市戦争復興記念館」を訪れることにしました。

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戦災復興記念館
http://www.hm-sendai.jp/sisetu/sensai/
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ボランティアのガイドさんが集まっていらっしゃって、展示資料の説明をしてくださいました。ガイドの小野寺さんからは、ご自身の話が掲載された新聞記事を見せていただきました。

◆戦後70年みやぎ:満州で「自爆」戻らぬ父 「平和を守る戦中派の会」主催、体験者2人が証言/毎日新聞 http://mainichi.jp/…/miy…/news/20150706ddlk04040018000c.html

小野寺さんは、「遺言だ」と言って、ご自分の体験記を渡してくださいました。89歳だそうですが、まだまだお元気でいらっしゃるので、遺言だなんて言わないでくださいとお話しましたが、実際にご高齢です。戦後70年ですから、体験を語れる方はどんどんとお年を召しています。小野寺さんのグループも故人となった方が多いです。前述したように、大槻議員が「今後、(戦後)75年、80年となっていきます。平和に向き合う、戦争の記憶を忘れないことを意識の中にしっかりと置くべきです」と言った意味はそういうことです。私は貴重なお話を聞く機会があって本当によかったです。今、国会では「戦争法案」の審議が進んでいます。何としても廃案にしたい!今日も仙台市中心部で訴えましたが、もっともっと、私もがんばりたいと思います!