女川原発を抱えている東北電力株式会社の株主の方々が「脱原発東北電力株主の会」として毎年株主総会で原子力発電が電力会社の経営にとって問題であることなどを指摘して、原子力発電から撤退するべきとする提案などをしています。また、仙台市も東北電力の株主なので「脱原発東北電力株主の会」の提案に賛成するように、「脱原発仙台市民会議」などの団体が共同で、仙台市に脱原発の要望と意見交換をしています。2022年は6月6月に実施し、議員として同行しました。


株主の会の提案は、どれももっともなことが述べられていますが、「原子力損害賠償保険、原子力財産保険への加入」という章を定款に新設するようにという提案も、その通り必要なことだと思います。廃棄物の処理ができなくて、かつ人が住めなくなるような他の比ではない危険なものを増やしていくべきではないし、事故後の補償などの費用負担も、あらかじめ想定しておかなければならないと考えます。
市民団体からの要望や意見は、以下のとおり、大きく4項目ありました。
- 1.東京電力福島第一原発の放射能汚染処理水海洋放出に反対すること
- 2.東北電力株主総会で女川原発再稼働に仙台市が反対すること
- ①トリチウムの健康被害が心配
- ②原発再稼働は東北電力の経営にとってマイナス
- ③事故発生時の住民避難計画は大丈夫か?
- ④ウクライナの二の舞にならないか
- ⑤原発の熱効率は石炭火力発電所よりも劣る
- 3.東北電力の株を手放し、自然エネルギー拡大に利用すること
- 4.石炭火力・原発に頼らないエネルギー政策の推進を
1.の汚染処理水に関しては、危機管理局が答えていました。私は最後に発言の機会をもらいましたが、その際、立憲民主党のチームで、宮城県の漁協、農協、生協連、ホテル旅館業の方々と処理汚染水に関して意見交換をしたことを申し上げました。みなさん「やむなし」という意見はありません。一次産業や観光業の方々は福島原発事故の影響に立ち向かって営みを続けてこられてきましたが、これまでの努力を水泡に帰することになるのではないでしょうか。産業への影響も大きいということも、仙台市には認識してもらいたいと意見をしました。また、汚染処理水の健康影響についても意見しました。福島原発事故後の被ばくの影響は裁判であらそわれています、今後も続いていきます。原爆被害者や被ばく2世の健康被害や、水俣病の健康被害など、長い年月あらそわれて認定されていることも事実としてあるように、健康への影響がないということをそのまま受け止めるのでは、住民の健康を守る姿勢とはいえないのではないでしょうか。
議会でも再三言ってきていることですが、事故がおきても避難できない避難計画を定めて原発を再稼働させるというのは、住民の命や財産を軽視していることにほかならず、許されることではありません。この日の意見交換を、6月議会の一般質問に反映しました。

関連して、6月8日は女川原発差止訴訟の報告会、6月11日は「みやぎ脱原発・風の会」の公開学習会に参加したこともご報告します。


「みやぎ脱原発・風の会」の公開学習会では、東日本大震災で女川原発が被災した振り返りと、その日に女川原発構内で働いていた今野寿美雄さんのお話がありました。原発労働者として放射能の被ばくを厳密に管理されてきたことをお話しして、手帳を客席にまわして見せてくださいました(あとでじっくり見せてもらおうとして忘れてしまった)。原発労働者として制限されていた以上の被ばくである(多い年で13ミリシーベルトだったか)、年間20ミリシーベルトの環境下で暮らしてもよいとされた原発事故後の欺瞞を指摘。加えて、今野さんの故郷は双葉郡浪江町なので、原発事故から必死に家族と避難したこと(青木美希さんの「地図から消される街」)、放射線量が高い故郷に帰れなくなったこと、被ばくの被害を無かったことにされようとしていること、などお話を伺いました。原発政策は棄民政策だと思います。それが今も続いています。今野さんのお話をこうやってまとまって聞いたのはもしかすると初めてだったかもしれません。風の会の舘脇さんが、質問を投げかけて話してもらう進め方、よかったと思います。
講師の今野寿美雄さんから、樋口健二さんの新著「フクシマ原発棄民 歴史の証人──終わりなき原発事故」を紹介していただきました。今野さんの証言も掲載されています。
大量の放射能が降り注いだ福島原発の大事故から10年、事故の被害は終わったのか。
放射能を浴びながら避難した福島の人びとは、福島を離れ、あるいは福島にとどまりながら、子どもを守り、暮らしを立て直しながら、この10年を精一杯生きてきました。
本書は、原発問題を追い続けてきた写真家・樋口健二が、被曝した福島県民の17歳から77歳の15人から聴き取った証言集で、原発の爆発による放射能の拡散からどのようにして避難したのか、どのようにして避難地にたどりついたのか、そして、どのように新しい暮らしをつくり、今日まで生きてきたのかを克明に記録した、歴史の記録です。
原発爆発による放射能被曝を「一次災害」とすれば、住宅提供を打ち切られ、少額の補償金で支援を打ち切られた現状は「二次災害」ともいうべき事態でしょう。避難を選ばなかった人から避難という選択を責められたり、除染の提案を国や県が安全と言っているからと却下されたり、小・中学校で生徒が除染をしないよう意見を述べたり、福島から来たという理由から転校先でイジメにあったり、正当な賠償を求めて国と東京電力相手に裁判を起こしたり、などなど、「放射能汚染下の今」を生きる道筋を描いています。
「フクシマ原発棄民 歴史の証人──終わりなき原発事故」