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プロフィール

  1. 立候補の決意
  2. いのまた由美のおもな活動
  3. いのまた由美はこんな人

いのまた由美立候補の決意

 子育て真っ最中です。出産後、再就職や子どもの預け先を探す難しさを身を持って体験し、子どもを連れて地域の子育て支援の活動に関わっておりました。自分と同じように、周りに知り合いがいないママ達や、孤立して思い詰めてしまうママ達に、相談できる人達と繋がる方法を知っていただきたくて活動していました。
ひとり親の家庭で育ったことが、私が政治を志した原点です。子どもの頃は子どもながらに、経済的事情でいろんなことを諦めるのは当たり前だと思い込んでいました。子どもの育ちを社会全体で応援して希望を持って育っていけるように、子どもの貧困問題に全力で取り組みます。
「保育園に落ちる」、児童虐待、いじめ……、皆さんと一緒に子育てを取り巻く課題を解決し、子ども自身が可能性をいっぱいに伸ばして未来に向かって歩んでいく応援をします。

 子育てだけでなく、介護の必要な方やそのご家族、障がいのある方など、手助けが必要な人に当たり前に支援が届き、そして誰もが自分らしく社会参加できる世の中を望んでいます。また、冷たい格差社会や戦争への道を進むのではなく、平和で心豊かに人間らしく生きられる世の中を望んでおり、そのために政治を諦めないと強く決意をしています。一つひとつ着実に、常に皆様のお声に真剣に耳を傾け、声を出せない方にもそばに駆けつけて寄り添い、そして市政の場で政策を実現していきます。どうか、ご支援をよろしくお願い申し上げます。

いのまた由美プロフィール

(2015年3月31日公開 2019年6月8日更新 いのまた由美)


いのまた由美おもな活動

●「寄り道サロン ユミノワ」主宰
●長町 ママの居場所 みんなの居場所「ママンココン」運営委員・副代表
●仙台発の育児本「2歳児サバイバルライフ」制作委員・販促チーム代表
●育児サークル「とんとんの会」(西多賀)元 副代表
●地域情報ミニコミ誌「長町・ゆとり~と」編集委員
●「吉岡宿にしぴりかの映画祭」実行委員
●「宮城・ベラルーシ友好協会」理事(国際交流)
●「仙台藩志会」会員
●月ヶ丘町内会 総務役員
●月ヶ丘婦人防火クラブ長
●前・宮城県地方自治研究センター勤務
●社民党宮城県連合 女性局長


いのまた由美はこんな人

子ども時代 ~諦めから希望へ~

1978年7月4日北海道網走市生まれ。ひとり親家庭で育ったことが政治を志した原点です。朝も夜も平日も土日もなく、子育てのためにパート・アルバイトで時間に追われ低賃金で働くシングルマザーの母の姿を見て育ち、子ども心にこの若い母に苦労をかけていると感じていました。進路を意識する頃には既に「あきらめ」が私の心を満たしていて、自分を大切にできずにいました。

子ども時代から全く優等生でもリーダータイプでもなくて、せめて普通に人並みにしたくても、はみだしてしまい、生き苦しさを感じています。でも、だからこそ、弱い立場の人たち、日々を精一杯生きている人たちの中に私がいる、寄り添うというよりも寄り添われる中に自分がいると思っていて、社会階級の底辺から意思決定の場に出ていくことに意味があると強く意識しています。

高校卒業後に就職しました。高校時代ももちろんバイト三昧でしたが、就職して働くことは、嬉しく、やりがいのあることでした。仕事も「居場所」の一つですね。二十歳頃まで、私は生意気にも人生や世の中はたかが知れていると思い込んでいて、安定した正規の一般事務職に就けたのは、私の出自としては最良のゴールだと思っていました。
でも、家族以外の大人や、他の街から転勤してきた大人と接することと、パソコンとインターネット回線を手に入れたことによって、たかが知れているわけではないんだ、世の中って広いんだ、いろいろな生き方があるんだ、可能性に満ちているんだ、と少しずつ変わってきました。

外界と関わりを持つ機会を得たことで、世界が広がったのです。


20代のころ ~働きながら学ぶ。社会問題に関心を持つ~

向上心や向学心を取り戻し、もっともっと学びたい、世の中を知りたい、人と出会いたい、大学で学び、自分を活かせる道を探りたいと切望するようになりました。でも、実父が借金苦で自殺未遂騒動の末に失踪をしていたので、奨学金を借りる(ローンを組む)のは忌避感がありました。

そのため正規職のほかに、2つも3つもアルバイトをして、「自分の学費は自分で稼いで大学にいこう」と考えていました。……けれどもそれはうまくいきませんでした。バイトを掛け持ちしすぎて勉強する時間や余力を保てずに病んだし、大学の学費や実家から出たあとの住宅費が高すぎて、いくらバイトをしても全然足りそうもありませんでした。

いま、副業や多様な働き方の推進がありますが、まずは一つの仕事で暮らせるだけの賃金をもらえることのほうが多くの働く人のワークライフバランスにとってはよいと、身を持って思います。
そこそこの人がそこそこの暮らしを維持できることが、社会を持続可能にします。そして、ただ食いつなぎ生きながらえるギリギリラインでなく、文化や教養に触れられる余暇を得られるとしたらどんなによいでしょう。

25歳。大学にいく準備は整いませんでしたが、「もっと学びたい、世の中を知りたい、人と出会いたい、自分を活かしたい」という渇望から、ついに退職して札幌へ転居しました。日中は契約社員として働き、夜間は専門学校でデザインを学びました。卒業後は、夜間や休日にNPOや市民活動の広報ボランティアをしてスキルを活かしました。ボランティアに参加することは私に学ぶ機会を与えてくれます。NPOや市民活動をしている人の考えに触れることによって、この頃から、自分の生まれ育った環境を客観視できるようになりました。
シングルマザーの貧困、子どもの貧困、家庭の経済力や地方の教育格差問題、ワーキングプア(低賃金労働)・不安定雇用が拡大されてきた労働法制の問題など、「自己責任」とされていることは、実は政治が放置して切り捨てている課題なのではないでしょうか。主権者が選ぶ政治の志向によって暮らしが変わります。

また、フェアトレード(できるだけ搾取せず、自立を応援する公正な経済を志向すること)・原発(核と人類は共存できないが、”過疎地”へ核関連施設を押し付け、抵抗する人へ圧倒的な力による排除や弾圧を徹底的におこなう構造)・戦争(沖縄にみられるように軍隊は住民を守らなかったし、戦争をつくるために特定のカテゴリの人への憎悪があおられたり逆に忠誠を強要されたりする)、民族や性や”障害”や出自などによって暴力を受けたり差別・分断・隔離されている「マイノリティ」というくくり方があるということも知りました。

政治・経済制度、戦争、原発、そういった大きな問題も、お空から降ってくる避けられないものではなくて、主権者が地べたから声を上げたり動いていかなければ、都合のいいようにやられっぱなし。切り捨てられ、尊厳が踏みにじられてしまうのだなと、考えるようになりました。


 30代のころ ~震災を経て仙台へ。結婚と出産~

2011年3月11日、12日。
東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故という大災害があり、多くの人命や、生活やふるさとが奪われてしまいました。私は5月に震災ボランティアとして宮城に来ました。

被災地に立ち、こんな痛ましいことがあるのだろうか、「明日はないかもしれない」と衝撃を受けました。20代の頃からよりよい明日を夢見て走ってきたけれど、「今、ここ」を意識するようになりました。震災復興や生活再建のために、微力でも尽くしたいと思いました。

そういう心境もあり、ボランティア活動で知り合った縁で結婚することになりました。
夫の実家の太白区へ転居して暮らしています。
現在は6歳の娘と4歳の息子の母親です


 子育て真っ最中のリアルな声を、まちづくりへ、市政へ

このまちで子どもを産み、育てていく中で、自分とおなじように、出産後働きたくても働けないママ、引っ越してきて地域との繋がりがないママ、孤独に子育てをしているママ達が多いことを痛感しました。

子育て真っ最中だからこそのリアルな声を活かしたいと、「子育てしやすいまちづくり」活動を開始しました。子どもを連れて外出することを促進する「親子マップ」づくり、自主「育児サークル」再生活動、ママによるママのための育児本の制作出版、子連れで集える居場所作りなどです。

2015年に仙台市議会議員選挙がありました。当時市議会議員の大槻正俊さんから後継者として挑戦してみないかと声をかけていただきました。まだ子どもが0歳と2歳だったので大変でしたが、子育て当事者の声を市政に反映するためにバックアップをしていただいて挑戦できるチャンスは滅多にないことだと考え決意をしました。「地域環境整備」「学校の環境整備」「子どもの貧困対策」「脱原発」等の政策を引継ぎ、「こどもの未来を守る」「赤ちゃんから高齢者まで決してあなたを一人にしない」と訴え、立候補しました。3575票を得票するも、87票差で次点となりました。2018年8月の仙台市議会議員選挙に再チャレンジする決意をしています。大槻正俊さんは現在も後援会長として私を支えてくださっています。


37歳で看護学校に入学

前回の選挙後、37歳で仙台市医師会看護専門学校 准看護学科に入学しました

20代独身の頃は、契約社員・派遣社員・臨時職員など非正規雇用の事務職に就くことができましたが、同じように就職活動をしても、30代半ばで子どもを産んでからは不採用が続きました。子どもを一時的に預かってくれる先をなんとか探し、面接に行けども行けども不採用という経験をし、専門職に就ける資格技能を見つけたいと、選挙前から考えていました。

家族等の協力があり看護学校に通うことができました。入学すると、社会人経験者のほうが高卒後に進学してきた人よりも多かったです。介護関係の仕事の経験者、シングルマザー、同じくらいの年代のクラスメイト、同じように子育てをしながら学んでいるクラスメイトもいて、励まし合いながら勉強をしました。

2年間の学校生活のうち、7ヵ月を病院や施設の実習で過ごし、看護・介護・福祉のケア等に関わり、2018年に准看護師の資格を取得しました。「さまざまな健康状態の方が、その人らしく、より生活の質を高く生きていくために、どんな援助をしたらよいか。どのように環境を整え、どんな社会資源を使ってその人を支えていけるか」という考え方を学べたことは、私の財産になりました。また、理想的なケアをしたくても病院や介護福祉の現場は人手不足が深刻だということも体験しました。看護学校や臨床現場で教わったことを市政に生かしていきます。


趣味や好きなこと

ボランティアをしたり市民活動をしたり勉強をしたりするのが好きで、ほとんどの時間動き回っています。その中でも特に好きでやっていることってなんだろうとしばし考え、趣味は「ドキュメンタリー映画」鑑賞としました。宮城県大和町で4年前から年に1回開催している「吉岡宿にしぴりかの映画祭」実行委員会に子どもと一緒に参加しています。そんなにたくさんの映画を私は観ているわけではないのですが、ドキュメンタリー映画を観る・上映する・話し合うことによって、多様な価値観や生き方に触れられるのが魅力です。

大切にしている本・感銘を受けた本

2017年
『ハンセン病療養所を生きる 隔離壁を砦に』有薗 真代 著
世界思想社 2017/05/10
http://sekaishisosha.jp/book/b353646.html