プロフィール

政治を志したきっかけと、プロフィール

「すべての子どもが何にでもなれる社会、すべての人間が尊厳を持って生きていける社会を作りたい」。暮らしと政治は繋がっています。つながり、支え合い、希望がもてる仙台をご一緒に作りましょう!

【こども時代】北海道網走市生まれ

  • 1978年 北海道網走市生まれ

ひとり親家庭で育ったことが政治を志した原点です。朝も夜も平日も土日もなく、子育てのためにパート・アルバイトで時間に追われ低賃金で働くシングルマザーの母の姿を見て育ち、子ども心にこの若い母に苦労をかけていると感じていました。進路を意識する頃には既に「あきらめ」が私の心を満たしていて、自分を大切にできずにいました。
子ども時代から全く優等生でもリーダータイプでもなくて、せめて普通に人並みにしたくても、はみだしてしまい、生き苦しさを感じています。(でも、だからこそ、弱い立場の人たち、日々を精一杯生きている人たちの中に私がいる、寄り添うというよりも寄り添われる中に自分がいると思っていて、社会階級の底辺から意思決定の場に出ていくことに意味があると強く意識しています。)

  • 1997年 北海道網走南ヶ丘高校卒業
  • 1997年 財団法人 北海道電気保安協会 入職(18歳)

高校卒業後に就職しました。高校時代ももちろんバイト三昧でしたが、就職して働くことは、嬉しく、やりがいのあることでした。二十歳頃まで、私は生意気にも人生や世の中はたかが知れていると思い込んでいて、安定した正規の一般事務職に就けたのは、私の出自としては最良のゴールだと思っていました。 でも、家族以外の大人や、他の街から転勤してきた大人と接することと、パソコンとインターネット回線を手に入れたことによって、たかが知れているわけではないんだ、世の中って広いんだ、いろいろな生き方があるんだ、可能性に満ちているんだ、と少しずつ変わってきました。外界と関わりを持つ機会を得たことで、世界が広がったのです。

【20代の頃】退職し、札幌へ学びに行く

向上心や向学心を取り戻し、もっともっと学びたい、世の中を知りたい、人と出会いたい、大学で学び、自分を活かせる道を探りたいと切望するようになりました。
そのため正規職のほかに、2つも3つもアルバイトをして、「自分の学費は自分で稼いで大学にいこう」と考えていました。……けれどもそれはうまくいきませんでした。バイトを掛け持ちしすぎて勉強する時間や余力を保てずに病んだし、大学の学費や実家から出たあとの住宅費が高すぎて、いくらバイトをしても全然足りそうもありませんでした。大学にいく準備は整いませんでしたが、「もっと学びたい、世の中を知りたい、人と出会いたい、自分を活かしたい」という渇望から、ついに退職して札幌へ転居しました。日中は契約社員として働き、夜間は専門学校でデザインを学びました。

  • 2005年 ほくでん情報テクノロジー株式会社 就職・契約社員(26歳)
  • 2006年 北海道造形デザイン専門学校(夜間)卒業(27歳)
  • 2007年 株式会社ほくでんサービスに雇用先の変更・契約社員(29歳)
  • NPO法人さっぽろ自由学校「遊」会員
  • 「フェアトレードフェスタ2007inさっぽろ」実行委員会事務局・広報

職歴は主なものを載せていますが、その他に経験した仕事・アルバイトは

北海道網走市では
パンと和菓子とケーキの店舗、コンビニ、飲食、ホタテの網づくり、ネイチャー観光ガイド、税務署非常勤

北海道札幌市では
日雇い派遣(イベント・食品販売)、障害者就労支援事業所(パソコン講師)、政治家後援会スタッフ

仙台市では
文字起こし(在宅)、税務署非常勤2度、自治体政策研究所、政党職員

卒業後は、夜間や休日にNPOや市民活動の広報ボランティアをしてスキルを活かしました。ボランティアに参加することは私に学ぶ機会を与えてくれます。NPOや市民活動をしている人の考えに触れることによって、この頃から、自分の生まれ育った環境を客観視できるようになりました。
シングルマザーの貧困、子どもの貧困、家庭の経済力や地方の教育格差問題、ワーキングプア(低賃金労働)・不安定雇用が拡大されてきた労働法制の問題など、「自己責任」とされていることは、実は政治が放置して切り捨てている課題なのではないか。アイヌや沖縄、植民地支配、フェミニズムなど、被支配される側から見た歴史も少しずつ知りました。
フェアトレード(できるだけ搾取せず、自立を応援する公正な経済を志向すること)・原発(核と人類は共存できないが、”過疎地”へ核関連施設を押し付け、抵抗する人へ圧倒的な力による排除や弾圧を徹底的におこなう構造)・戦争(沖縄にみられるように軍隊は住民を守らなかったし、戦争をつくるために特定のカテゴリの人への憎悪があおられたり逆に忠誠を強要されたりする)、民族や性や”障害”や出自などによって暴力を受けたり差別・分断・隔離されている「マイノリティ」というくくり方があるということなども知りました。
政治・経済制度、戦争、原発、そういった大きな問題も、お空から降ってくる避けられないものではなくて、主権者が地べたから声を上げたり動いていかなければ、都合のいいようにやられっぱなし。切り捨てられ、尊厳が踏みにじられてしまうのだなと、考えるようになりました。

  • 2008年 社会民主党に入党(30歳)

脱原発や平和や市民自治など札幌の市民運動のリーダー的存在の山口たかさんが2007年参院選、2009年衆院選で社民党比例候補になったのがきっかけで、私も政治運動にも関わるようになりました。

土井たか子さん、吉武輝子さんと

【30代前半】東日本大震災で、仙台へ

  • 2011年 東日本大震災・福島第一原発事故(32歳)

2011年3月11日、12日。東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故という大災害があり、多くの人命や、生活やふるさとが奪われてしまいました。私は5月に震災ボランティアとして宮城に来ました。
津波被災地に立ち、こんな痛ましいことがあるのだろうか、「明日はないかもしれない」と衝撃を受けました。20代の頃からよりよい明日を夢見て走ってきたけれど、「今、ここ」を意識するようになりました。震災復興や生活再建のために、微力でも尽くしたいと思いました。
そういう心境もあり、ボランティア活動で知り合った縁で結婚することになりました。仙台へ転居し、そして2人のこどもに恵まれました。

  • 2012年1月 仙台中税務署 非常勤勤務(確定申告補助アルバイト)
  • 2012年4月 東北経済産業局 非常勤勤務(半年)
  • 2012年12月 第一子出産 (34歳)
  • 2014年8月 第二子出産 (36歳)

【30代後半】2人の子を出産、子育て支援活動

このまちで子どもを産み、育てていく中で、自分とおなじように、出産後働きたくても働けないママ、引っ越してきて地域との繋がりがないママ、孤独に子育てをしているママ達が多いことを痛感しました。 子育て真っ最中だからこそのリアルな声を活かしたいと、「子育てしやすいまちづくり」活動を開始しました。子どもを連れて外出することを促進する「親子マップ」づくり、自主「育児サークル」再生活動、ママによるママのための育児本『2歳児サバイバルライフ』制作出版、子連れで集える居場所作りなどです。

  • 2015年8月 仙台市議会議員選挙に初挑戦・当選できず(37歳)

2015年に仙台市議会議員選挙がありました。当時市議会議員の大槻正俊さんから後継者として挑戦するつもりはあるかと声をかけていただきました。まだ子どもが0歳と2歳だったので大変でしたが、子育て当事者の声を市政に反映するためにバックアップをしていただいて挑戦できるチャンスは滅多にないことだと考え決意をしました。「地域環境整備」「学校の環境整備」「子どもの貧困対策」「脱原発」等の政策を引継ぎ、「こどもの未来を守る」「赤ちゃんから高齢者まで決してあなたを一人にしない」と訴え、立候補しました。3575票を得票するも、87票差で次点となりました。
その選挙では事件がありました。告示前日、なんら法的に問題のない選挙カーの使用を、警察が認めず、選挙カーを借り直して作り直しても、またダメだと三度もはねつけられました。選挙2日目の午後に警察は法解釈のミスだった、ごめんなさいと言われたのでした。これはとんでもない選挙妨害で、選挙運動は大打撃を受けました。

その後、私、後援会長の大槻さん、社民党県連の三者が原告となり16年4月から裁判を始めました。その間私は、今後の生活を考え、看護専門学校に入学し、2年間学んで准看護師の資格をとりました。裁判で被害を訴え続けることは苦しい経験だったけれど、多くの方から支援を受けて裁判闘争ができたことに感謝をしています。17年4月に勝利的判決を得ました。賠償額は低くても、原告の私だけでなく三者への損害を認められたのが画期的でした。

  • 2015年8月 仙台市議会議員選挙・次点(37歳)
  • 2017年4月 宮城県との裁判に勝訴(38歳)
  • 2018年3月 仙台市医師会看護専門学校 准看護学科卒業(39歳)

仙台市医師会看護専門学校に入学

37歳で仙台市医師会看護専門学校 准看護学科に入学しました。20代独身の頃は、契約社員・派遣社員・臨時職員など非正規雇用の事務職に就くことができましたが、同じように就職活動をしても、30代半ばで子どもを産んでからは不採用が続きました。子どもを一時的に預かってくれる先をなんとか探し、面接に行けども行けども不採用という経験をし、専門職に就ける資格技能を見つけたいと、選挙前から考えていました。
家族等の協力があり看護学校に通うことができました。入学すると、社会人経験者のほうが高卒後に進学してきた人よりも多かったです。介護関係の仕事の経験者、シングルマザー、同じくらいの年代のクラスメイト、同じように子育てをしながら学んでいるクラスメイトもいて、励まし合いながら勉強をしました。
2年間の学校生活のうち、7ヵ月を病院や施設の実習で過ごし、看護・介護・福祉のケア等に関わり、2018年に准看護師の資格を取得しました。「さまざまな健康状態の方が、その人らしく、より生活の質を高く生きていくために、どんな援助をしたらよいか。どのように環境を整え、どんな社会資源を使ってその人を支えていけるか」という考え方を学べたことは、私の財産になりました。また、理想的なケアをしたくても病院や介護福祉の現場は人手不足が深刻だということも体験しました。看護学校や臨床現場で教わったことを市政に生かしていきます。

【40代】仙台市議会議員 初当選

2019年8月25日の仙台市議選で大きな得票をいただき念願の初当選を果たしました。前仙台市議の大槻正俊さんからのバトンタッチを目指し、後援会長として支えていただき、二度目の挑戦でした。

  • 2021年1月 立憲民主党に入党

長い話し合いのすえ、社民党宮城県連合はまとまって立憲民主党宮城に合流することを決め、解散しました。私は立憲民主党所属になりました。市議会会派の構成は変わらず、名称を「社民フォーラム市議団」と変更しました。

市議会議員は4年の任期です。次回の仙台市議会議員選挙は2023年7月21日告示となります。立候補の決意をしています。2代目の後援会長に皆川万葉さんになっていただきました。
「すべての子どもが何にでもなれる社会、すべての人間が尊厳を持って生きていける社会を作りたい」
世界最年少34歳で首相になったフィンランドの社会民主党の女性、Sanna Mirella Marin首相が語ったとされる言葉です。この言葉を聞くたびに、読むたびに、諦めの中にいるこども、奪われ続ける尊厳をおもい、涙が出てしまいます。私も自分のスローガンとして、声に出していきたいです。「すべての子どもが何にでもなれる社会、すべての人間が尊厳を持って生きていける社会を作りたい」。まさに、そんな社会を作るためには政治を変えることが必要だと考えて、この道を歩み始めました。

こつこつ、がんばります。

心ある皆さん、一緒に取組みましょう。

いのまた由美 関連書籍の紹介

2歳児サバイバルライフ

政治って、面白い! ~女性政治家24人が語る仕事のリアル

お声がけいただいて参加した座談会が本になりました。私は第三章の座談会に登場します。

『政治って、面白い!――女性政治家24人が語る仕事のリアル』

#三浦まり :編著
定価:1,870円(税込)
四六判並製  288頁
出版社 #花伝社 (2023/5/22)

政治って、面白い! - 花伝社
三浦 まり 編著

2022年9月更新 主な経歴・役職など

●仙台市議会議員(社民フォーラム市議団)/2019年8月初当選(1期目)
●仙台市議会 経済環境委員会 副委員長
●仙台市議会 防災・減災推進調査特別委員会 副委員長
●仙台市議会 広報委員

●「女川原発再稼働ストップ!みやぎ女性議員有志の会」会員
●ストップ気候危機!自治体議員による気候非常事態・共同宣言 賛同議員
●地域から生活保障を実現する自治体議員ネットワーク「ローカルセーフティネットワーク」賛同議員
●仙台市医師会看護専門学校卒業。准看護師。
●法政大学通信教育部 法学部在籍
●防災士

●「寄り道サロン ユミノワ」主宰
●ママの居場所 みんなの居場所「ママンココン」世話人
●仙台発の育児本「2歳児サバイバルライフ」制作委員・販促チーム代表
●育児サークル「とんとんの会」(西多賀)元 副代表
●にんしんSOS仙台 特定非営利活動法人キミノトナリ 会員
●地域情報ミニコミ誌「長町・ゆとり~と」編集委員
●八木山から元気を届ける会 副会長
●八木山中央商店街 顧問
●上野山小学校PTA会長
●「吉岡宿にしぴりかの映画祭」実行委員
●「仙台藩志会」参事

●立憲民主党宮城県連 子ども子育て担当幹事
●社民党フォーラム宮城 女性局長

いのまた由美 立候補の決意(2015年)

いのまた由美立候補の決意

 

 子育て真っ最中です。出産後、再就職や子どもの預け先を探す難しさを身を持って体験し、子どもを連れて地域の子育て支援の活動に関わっておりました。自分と同じように、周りに知り合いがいないママ達や、孤立して思い詰めてしまうママ達に、相談できる人達と繋がる方法を知っていただきたくて活動していました。
ひとり親の家庭で育ったことが、私が政治を志した原点です。子どもの頃は子どもながらに、経済的事情でいろんなことを諦めるのは当たり前だと思い込んでいました。子どもの育ちを社会全体で応援して希望を持って育っていけるように、子どもの貧困問題に全力で取り組みます。
「保育園に落ちる」、児童虐待、いじめ……、皆さんと一緒に子育てを取り巻く課題を解決し、子ども自身が可能性をいっぱいに伸ばして未来に向かって歩んでいく応援をします。

 子育てだけでなく、介護の必要な方やそのご家族、障がいのある方など、手助けが必要な人に当たり前に支援が届き、そして誰もが自分らしく社会参加できる世の中を望んでいます。また、冷たい格差社会や戦争への道を進むのではなく、平和で心豊かに人間らしく生きられる世の中を望んでおり、そのために政治を諦めないと強く決意をしています。一つひとつ着実に、常に皆様のお声に真剣に耳を傾け、声を出せない方にもそばに駆けつけて寄り添い、そして市政の場で政策を実現していきます。どうか、ご支援をよろしくお願い申し上げます。

いのまた由美プロフィール

(2015年3月31日公開 2019年6月8日更新 いのまた由美)




趣味や好きなこと

ボランティアをしたり市民活動をしたり勉強をしたりするのが好きで、ほとんどの時間動き回っています。その中でも特に好きでやっていることってなんだろうとしばし考え、趣味は「ドキュメンタリー映画」鑑賞としました。宮城県大和町で4年前から年に1回開催している「吉岡宿にしぴりかの映画祭」実行委員会に子どもと一緒に参加しています。そんなにたくさんの映画を私は観ているわけではないのですが、ドキュメンタリー映画を観る・上映する・話し合うことによって、多様な価値観や生き方に触れられるのが魅力です。

大切にしている本・感銘を受けた本

2017年
『ハンセン病療養所を生きる 隔離壁を砦に』有薗真代 著
世界思想社 2017/05/10
http://sekaishisosha.jp/book/b353646.html

2018年
『環状島=トラウマの地政学』宮地尚子 著
みすず書房 2018/7/5新装版
https://www.msz.co.jp/book/detail/08738/