八木山動物公園の「ベーブ・ルース像」

2022年4月27日

この日は、20年前に八木山動物公園内に建てられた「ベーブ・ルース像」の、制作の際に原型として作られた石膏像を、動物公園の建物内に保管してもらうための制作者からの寄附申請に同行しました。

「ベーブ・ルース像」は20数年前に、元東北放送の野球実況のアナウンサーの吉岡徹也さんや当時市議会議員の大槻正俊さんらが中心となって市民団体「ベーブ・ルースの像を建てる会」を結成し、建立に至りました。勾当台公園にある「横綱 谷風像」の作者である翁観ニさんに制作を依頼し、制作や設置に伴う費用となる寄付金を集めてまわり、肖像権などの許諾を得るためにアメリカのベーブルース財団と交渉をするなど、数年がかりの取組でした。

そうして2002年に建立されたベーブ・ルース像の碑文には、このように刻まれています。

【ベーブ・ルース ここにホームランを放つ】

『1934年(昭和9年)、野球王ベーブ・ルース等の全米大リーグ選抜チームが来日、東京6大学チームを中心とする全日本チームと親善試合を18回行って全勝した。2年後、日本にも職業野球連盟が生まれており、プロ野球の夜明けとも言うべき年であった。
仙台では11月9日、第4戦がこの地、宮城県営八木山球場で行われ、ルースが日本で初ホームランをスコアボード右へ、続く2号を左中間へ放っている。ホームラン第1号を打ち込んだのがこの場所に当たる。
八木山球場は、八木久兵衛氏が私財を投じて造り県に寄贈した施設で、その後、仙台市に移管され動物公園のアフリカ園になっている。
仙台における日米野球史を後世に伝え、時や国境を越えて夢と感動を与えている野球がいつまでも出来る平和な世が続くよう祈念してブロンズ像を建立した。
2002年(平成14年)11月
ベーブ・ルースの像を建てる会 彫刻 翁観二』

原型の寄付を取材してくださった東北放送が、今回の経緯をわかりやすくまとめられています。以下、引用します。

「現在、メジャーリーグでは大谷選手が二刀流として活躍していますが、元祖・二刀流はこの人、ベーブ・ルースです」

太白区の八木山動物公園にある野球の神様 ベーブ・ルースの銅像。

1934年、動物公園の敷地にあった #八木山球場 で行われた日米野球で、ベーブ・ルースが来日初ホームランを打ったことを後世に伝えようと20年前に建てられました。

27日は、ベーブ・ルースの像を建てる会の関係者らが動物公園を訪れ「銅像の原型」を仙台市に寄贈しました。

原型は仙台市出身の彫刻家で、銅像を制作した翁観二さんが保管していましたがアトリエを閉めることになり、市が管理することになりました。』

東北放送より

東京にいらっしゃる翁観二さんから、仙台市太白区在住の妹の翁ひろみさんが石膏像を預かっていらっしゃいました。翁ひろみさんも著名な彫刻家です。日本のフィギュアスケート発祥の地といわれる五色沼( 仙台市博物館 入口)にも作品が設置されています。今後の保管についてベーブ・ルースの像を建てる会を通じて私にもご相談をいただき、仙台市との調整などをさせていただきました。

仙台城址 にある有名な「伊達政宗公騎馬像」は、戦争の金属供出で一旦失われましたが、戦後、原型が保存されていたために復元再建できたそうです。こうした先例に鑑みると、仮に、像本体が破損等することがあったとしても原型が園内に保管されていれば復元は容易であると考えます。そのような理由で寄附の調整をしている間に、3.16福島県沖地震に見舞われてしまい、例としてあげていた仙台城址の騎馬像は傾いてしまい、城址の石垣も崩れるなど被害が発生してしいます。復旧が待たれます。翁ひろみさん宅に保管されている他の像の原型は落下や破損がありましたが、ベーブルース像の原型はなんとか被害がなく済んでいました。

「ベーブ・ルースの像を建てる会」などを通じて大槻正俊さんが熱心に取り組んでこられた、ベーブルース像など八木山動物公園を盛り上がていく仕事を、こうして少しでも引き継いでいくことに関われて、感慨深く思いました。これからもがんばります。

私が所属する「八木山から元気を届ける会」でも、亜キラさんの歌「八木山からおはようさん!」の出だしの歌詞にあるように、♪ベーブルースのホームランが仙台市民に希望を与えてくれたことを、広めて伝えていきたいです。

八木山からおはようさん!

資料

<歴史エッセー 仙台にある野球の聖地(上)> ベーブ・ルースが来日第1号、今は動物公園に ―― 石沢友隆(郷土史家) | 河北新報オンライン
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